ゴージャスドレスに見る太ももの正しい使い方
【第9回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
■情熱的な赤系バックに露出のある衣装
なのにエロく見えないのはなぜ?
クリスマスが近づくと、音楽業界もクリスマス・ソングの企画モノをリリースして大いに儲けたものだが、さていまはどうなのだろう?
そもそもクリスマスにデートする(あるいはできる)人が、減ってしまったろうし、家族が集まって「ホワイト・クリスマス」を聴きながらケーキを切るなんて、ほとんどやってないでしょう?
まあ、友人同士のパーティか? イベントか? 音楽業界は儲からず、庭の木やベランダのための電飾グッズ業界が儲かるようになっただけかもしれない。
クリスマスをひとり寂しく過ごすバチュラー(独身者)のための企画だったのか? それとも恋人とふたりで甘い夜を過ごすための企画だったのか? サンタ衣裳ジャケの「ALL I WANT FOR CHRISTMAS」は、ジャッキー・グリーソンらしくロマンティックで、しかも「夜の音楽」だ。
聴くと、恋人とふたりで過ごすためのバックグラウンド・ミュージックのようだが、ジャケットは案外エロい。恋人にコスプレさせてセックスするような時代ではないから、これはうら若い恋人たち向けではないだろう。
そもそもリリースされた1969年、若者はビートのあるロックで踊って、マリファナ吸って、ACIDなドリームを見ていたのだから、グリーソンのムード・ミュージックなんか聴かなかったろう。
スタジオの壁をバックに美女ひとりを撮っただけという、60年代以降顕著になるスタイルの美女ジャケに、筆者はあまり興味が湧かない。セットに凝るとか、なにか物語がありそうな設定がないと妄想も起きないし、美学的な感興もないからだ。
そういう意味では退屈なジャケのはずのこのグリーソン作品だが、サンタ衣裳の絶妙なエロさに惹かれて手放せずにきた。ミニ丈、胸元を大きく開けて、しかもベルトのバックルが異様に大きい。これは何かの表徴か? マニアックにいうと白のモヘア風の部分が胸元の片側だけなのが余計にエロティックに見えるのだが、まぁ、それはたんに筆者が衣服に対して極端にフェチってことなのかもしれない。
個人的な性的嗜好の話になって恐縮だが(いや、毎回恐縮すべきことを書いてますが)、赤、白、黒のコンビネーションが女性のファッションでは最も性的刺激が強いと思っている。
たとえばクリスチャン・ルブタンのハイヒール。真っ赤なソールがルブタンのスタンダードな商品だが、あのソールに上張りされた赤が、なぜ劣情をソソるのか? そもそもルブタンのハイヒールを履く女性は、ほとんどセクシュアルな自信がありそうだし。
赤、そう、なぜか男は女性の衣服や身に付けるものに赤色があると反応してしまうのだ。美女ジャケに赤バックが多いのも、そんな理由からだろう。
いや黒も魅力的だ、いや白も、となるので、赤、白、黒のコンビネーション、具体的には、黒のタイトスカートに白のブラウス。そこに真っ赤な革のベルトというコーデあたりが最高となる。ハイヒールはルブタンの黒で、ね。
サンタ衣裳の赤白からそんな妄想をしたが、美女ジャケにはぴったりハマるものがない。筆者はその昔、のちにAV女優、タレントとしても有名になる及川奈央をデビュー当時に撮影ディレクションしたことがある。
デザインだけでなく添える文章も担当したので、打ち合わせ段階からスタイリストには細かな注文を出した。そのコーデというのが真っ赤なスカート、白のブラウス、それに黒のストッキング。ストッキングはシームの入った太ももまでのガーターベルトで吊るもの。個人的には最高にセクシュアルなコーデなのだが、まったく興味が湧かない人もいるだろう。
そう、女性の肉体そのものでなく、そこに付随してくるもの(ほとんどは装身具)に反応するのは、すべてフェティシズムだし、それは個人によってさまざまだ。
運動着に反応する人もいれば、コンサバなOLスタイルに反応する人もいる。
美女ジャケ黄金期の1950年代にはさすがにスポーツスタイルの美女は登場しないので(1970年代にはジャージ姿の美女ジャケがけっこうある)、ここでは1960年代以降、消えてしまうゴージャスなドレス姿の美女ジャケを経巡ってみたい。